2021年12月27日に福岡地方裁判所口頭弁論の被告本人が読み上げた意見陳述書の内容を紹介します。
令和3年(ワ)第3416号
損害賠償請求事件
原 告 株式会社田中構造設計
被 告 私
福岡地方裁判所第6民事部合議A係 御中
令和3年12月27日
私は幼少より音楽を学び、音楽大学在学中の19歳の時、後の世界的指揮者となるK.K氏とNHKの教育番組の制作に関わりました。以来50年ほどにわたってクラシック音楽の演奏や創作活動、教育に携ってきました。国籍や言語はもとより時代すらも超越して、人々に喜びや楽しさ、感動を伝え、悲しみや苦しみには癒しを与える、そのような世界共通言語としての音楽が持つ普遍的な価値を体現し、実践するために人生を捧げてきたと自負しています。
2 私たちのホームページについて
私は事実でない事を書いてまで、ホームページを作り、人々の関心を引く必要はありません。表現者としてのプライドもあります。私たちのホームページに記載された事実は、個々の主観的で断片的な記憶に頼ることなく、他の住民の皆さんとも慎重に確認を重ね、弁護士さんにもアドバイスをもらいながら記録されたものであり、いずれも紛れもない真実です。
そして、その真実に対する評価は、私たち住民を敵視し、私たち住民との話し合いを拒絶し、私たち住民が大切にしてきたものを一方的に踏みにじろうとする田中構造設計の振る舞いに対して、私たちの素直な思いを表現したものです。現在も朝8時から土曜祝日もなく工事は進められ、私たち住民たちは騒音や埃、重機の排気ガスの匂い、ベランダの目前で作業する人影などにさらされています。
そして、日に日に高くなるアイズ小笹により各戸の東側、南側ベランダには終日、日差しが入らず暗い生活を強いられています。確かにこのホームページが取り上げている問題は、日本という島国の、しかも地方都市の小さな地区で起こった、歴史的にみれば些細な出来事かもしれません。しかしそこに暮らす住民にとってはかけがえのない日常や住環境が、田中構造設計という一営利企業によって一方的に破壊されていること、その過程で、私たち住民が地域の住環境や平穏な日常を守るために懸命に取り組んできた行動のひとつひとつを史実として記録し、小笹という小さなまちの小さな歴史の一つとして刻むこと、それがこのホームページの管理を任された者としての使命だと考えてきました。
3 この裁判によってもたらされたもの
しかし、悔しいことではありますが、たった一通の通知によって、私の信念は大きく揺らぎました。この訴訟が提起される前に瀬戸弁護士から送られてきた一通の通知により、このホームページは弁護士から指摘を受けるほどの「やってはならないことなのか?裁判で責められるような事なのか?」と自信を失いかけました。弁護士さんに一言一句のチェックをお願いしなければ投稿もできないほど、ホームページの更新は停滞しました。私が表現者として行ってきた音楽活動までも否定された気持ちになり、「私がおこなってきた音楽の表現活動も、人々の心に悪い影響を及ぼすこともあるのではなかろうか?」などと自問自答した時期もありました。田中構造設計からの訴状が届いた時には、あまりに高額な請求に、私だけでなく妻や家族にまで累が及ぶことをおそれ、ホームページの更新もストップしてしまいました。このような訴訟の被告とされ、私の音楽人生は終わった、そのようにさえ感じました。しかし、地域住民の皆さんの支えや、「芸術は経済や法律にも勝る人類の大事なもの。法律や経済の仕組みは変わっても、芸術の価値は不変である」といった友人からの言葉に励まされ、今日ここに立っています。
4 この裁判に対する思い
音楽は、他の表現活動もそうであったように、そのときどきの政治情勢によって翻弄され、制約を受け、或いは利用されてきた歴史があります。そのような音楽をはじめとする表現活動の脆さは、身に染みて理解しています。
それだけに、このような裁判を用いて表現活動を萎縮させようとする田中構造設計の姿勢は、表現活動を生業とする私にとって決して許すことはできません。
田中構造設計の振る舞いは、この社会が獲得してきた自由闊達な表現活動の保障のもと、長い歴史をかけて積み上げてきた文明に対する冒とくであるとすら感じます。すでに私以外の住民も、田中構造設計や田中忍氏から手当たり次第に裁判を起こされ、この裁判と同じように極めて高額な損害賠償を請求されています。
これらの裁判も、私たち住民による表現活動や住民運動を牽制する目的で提起されたものだと確信していますが、私たちは、このような田中構造設計の攻撃に屈するつもりはありません。この裁判を通じて、私たちの平穏な日常を破壊した田中構造設計という企業と正面から向き合い、この裁判の経過も含めて、事実をありのままにホームページに記録し、評価は後世に委ねたいと思います。 以上